~仏教の先人に学ぶ~
仏教の本を読むと、人生と向き合ってきた多くの人たちの「生き方」を学ぶことができます。本日は「夢を叶(かな)える」という題に沿って、アナタにお話しさせていただきます。
最初に答えをお伝えすると、「夢を叶える」には夢を忘れず、志(こころざし)を強く持ち、努力を継続していれば、必ず夢を叶えることができます。それでは、仏教の先人に学んでいきましょう。
『西遊記(さいゆうき)』で有名な三蔵法師(さんぞうほうし)こと、玄奘三蔵(げんじょうざんぞう)と同じ時代に生きた「善導(ぜんどう)」というお坊さんがおられます。
善導和尚(ぜんどうおしょう)は道綽(どうたく)というお坊さんの弟子です。善導和尚さんはお覚りを得ていて、心を平静にして座禅をすれば、自然と阿弥陀さまを直に拝むことが出来ました。また、阿弥陀さまに分からないことをお尋ねすると、なんでも阿弥陀さまがお答えて下さるのでした。
ある時のことです。お師匠さんである道綽さんが善導さんに「わたくしは朝夕、阿弥陀さまがおられる極楽浄土(ごくらくじょうど)に行きたいと思っているが、この願いは叶うのだろうか。とても気になるので阿弥陀さまに伺ってほしい」と、お頼みしたのです。
お師匠さまの不安を取り除くべく、すぐさま座禅をして、阿弥陀さまにお話しすると「木を切るのには斧を振り落とす。家に帰るには苦しみを厭(いと)わない」と、答えて下さいました。
このお言葉を道綽さんにお伝えを致しますと、何度も頷かれて「どんなに大きな木であっても、休むことなく切り続ければ、最後には切り倒せないということはない。切るのを怠(おこた)って休んではいけない。家に帰るには、苦しいからと、途中で止まってはいけない。這(は)うようにしてでも歩き続ければ、必ずたどり着くことができる。志を強く、怠らなければ阿弥陀さまのところに行くことが出来るのだ」と確信されたのでした。
もちろん後日、道綽さんがお覚りを得られたのは言うまでもありません。
そして、道綽さんは多くの方々に「このことは私だけに当てはまるものではない。いろいろな人たちにとっても全く同じなのだよ」と、語られています。
私たちは、何か嫌なことがあれば、夢をすぐに投げ出してしましますが、それでは夢を叶えることは出来ないのです。一度決めたら、必ずそれを全(まっと)うする。道綽さんは、私たちに「夢を叶える」方法を教えて下さっています。
どうぞ、アナタさまも道綽さんの後に続いて、夢を叶えていただきたいと願っています。
また、「夢を叶える」人生を歩む上で、注意してほしいことがございます。
有名な『方丈記(ほうじょうき)』を記された鴨長明(かものちょうめい)(平安末期~鎌倉初期)という方がおられます。この方は『方丈記』以外にも『発心集』という書物を著されています。この『発心集』は当時流布していたお話しの中から、仏教にまつわる物語を集めたものです。その中に、以下のお話しがあります。
当時、都(みやこ)に物乞いをして歩く女性がおられました。女性は「みなそこ」という名前で、もともとは朝廷にお仕えされていた身でした。
みなそこさんには、意中の男性がおられ、その男性は都から離れて、地方で仕事をする運びになりました。その男性から「みなそこも一緒に行こう」と誘われ、それを快諾(かいだく)しました。周りの方々やお世話になった人に挨拶をして、いよいよ男性と地方に行く朝を迎えました。
しかし、約束の時間を迎えても、どんなに待っても男性からの迎えの車はありません。もちろん連絡もありません。不審に思って、問い合わせてみます。すると男性は出立し、よくよくお話しを聞きますと、男性には自分以外にも女性がおられて、その方を妻とされ、その女性と一緒に旅立ったことが分かったのです。
怒りは計り知れないほどです。また、周りの人にも恥ずかしくて言えず、そのまま朝廷を去り、その日から貴船(きぶね)神社に百夜、呪いのお参りをしました。そして、神様に、
実現は難しいかもしれませんが、私から意中の男性を奪い去ったあの女性を亡き者にして下さい。それが叶えば、私の命を差し上げます。もし、私が生き続けるなら現世は乞食の身となって、来世には地獄に落ちる報いを受けるとしても後悔しません。この恨(うら)みをはらしてください
と、一心にお願いされました。
もちろん男性は何も知りません。その男性が赴任先に到着して、一ヶ月ほど経ったある日のことです。
奥様がお風呂に入ろうとすると、30センチぐらいの奇妙な黒い塊が、お風呂の天井から降りてきたのが見えたそうです。すると、その日を境に奥様は病にかかり、ほどなくして、亡くなったのです。そして、その一報を聞いたみなさこさんの感極まりました。
しかし、それからというもの何事も物事が上手くいかなくなり、世間にいられないほどに落ちぶれしまい、物乞いをして歩いている、という次第でした。
みなそこさんは、
勿論、私が願ったことですから、神様を怨むのは筋違いです。ですが老いて、このような苦しみを受けると、どうしてあのような罪深い心起こしてしまったのか、と強く思うのです。今更ですが後悔の念に堪えません。
と、涙を流しながらお話しされるのです。
良い事は、どんどんしていただけたら嬉しいかぎりです。片や悪いことは極力思って欲しくありません。千年ほど前のお話ではございますが、みなそこさんの生き様はそのまま、私たちに人生の悪見本として色々なことを教えてくれています。
皆様のお役に立つこと、人の幸せを祈る中で自分の人生を考えたいものです。
皆さまの幸せを祈れる優しい心は「祈り」の中で養われます。どうぞ、祈りの生活をしていただきたいと思います。
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